根岸友山の紹介です。

根岸友山




根岸友山

 ねぎしゆうざん
 根岸友山は、文化六年(1809)、武蔵国大里郡甲山村の名主根岸伴七信保の子として生まれました。根岸家は非常に富裕で、友山も学問は折衷学派山本北山に、剣術は北辰一刀流千葉周作に学び、十六歳の時、伴七の名前と名主の地位を引き継ぎ、財力を活かして諸方の志士を支援しました。特に幕府方の捕吏に追われた志士が逃げて来るとこれを我が家に匿って時節が来るまで扶養し、その人数は常に十数人を数えたと言われています。また屋敷内に私塾「三余堂」と道場「振武所」を設営し、郷党の若者を教育しました。
 友山は志士活動の一方、地元である荒川流域の治水にも尽くしました。しかし天保十二(1841)年、治水工事に携わった役人の不正に抗議して蓑負騒動と云う一揆に荷担し、二十年の江戸十里四方所払いの刑に処されてしまいます。江戸から離れた甲山村に住む友山にしてみれば江戸十里四方所払いは殆ど御咎め無しと云って良い軽い刑罰でしたが、元来活動的な根岸にとっては死命を制されたも同然で、以後二十年間全く世に出る事はありませんでした。
 そして丁度二十年後の文久二年(1862)十二月、かつての友人清河八郎から派遣された使者・池田徳太郎より浪士組募集の報を受けると、これまでの鬱憤を晴らすかの如く門弟多数を引き連れて入隊。その名声と門弟の数から、一番小頭に任命されました。
 しかし文久三年三月、京都に着くや浪士組は少数の残留者を残して江戸に帰還。根岸も当初は残留組と京都に残りましたが、残留組が会津藩に接近するのを見て彼らと訣別。三月末には「伊勢神宮参詣」を名目に京都を離れました。五月、江戸で新徴組に参加。新徴組が庄内藩の指揮下に組み入れられた際には取締役に任命されましたが、すぐに辞職して郷里に隠棲しました。幕府を憎む事甚だしく、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が負けると祝杯を上げたと云われています。また、明治元年(1868)には尊王倒幕を擁護した「吐血論」を著述。新選組を「勅定を貰ったからには我々は既に朝廷の直属の兵の筈なのに、幕府に仕えるとは何事」と批判してます。
 明治二十三年十二月三日死去、享年八十二歳。





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